勝手神社

 

勝手神社は、昔「吉野山口神社」「勝手明神」とも称せられ格式高い延喜式内社で、全国の勝手神社の総本山であり、支社は全国二十八社に分神して、毎年支社から多くの氏子、崇敬者が本社参りをされ、「武運長久」「護国鎮守」「家内安全」「開運繁栄」の神社として崇められ、又、吉野八社明神の一つとして、大峰山参詣の山伏修験者の「行場の一つ」として、信仰の聖地とされてまいりました。

 

 

 勝手神社は、全国から吉野を訪れる観光客の方々にとって「吉野は心のふるさと」と親しまれ、桜の名所の中枢、袖振山を背に「心が癒される場所」として、昔から貴重な観光スポットでもございます。

 創建は不明なるも「日雄寺継統記」によれば、孝安天皇六年十二月と伝えられ、大海人皇子(天武天皇)が琴を奏でられ、天女が舞い降りて、五度袖を振りながら舞ったと伝えられ、「五節の舞」の発祥地とされております。

又、静御前が捕らえられ、この社の神楽殿で法楽の舞をさせられた「舞塚」があることでも有名で、義経や静御前を慕う人々が後を絶たない史跡でもございます。

 

 御祭神は、「天之忍穂耳命・大山祇命・久々能智命・木花咲耶姫命・苔虫命・葉野姫命」の六神で、主神の「勝手」という御名のとおり「勝運の神」「必勝の神」や「芸能の神」また、「山の神」「桜の神」として、多くの方々から信仰を集めてまいりました。

 この勝手神社の建物は、「三間社流造の連棟社殿で、正面左右の千鳥破風付の桧皮葺」が特徴で、全国的にも類例のない珍しい建物で細部の意匠も優美で変化に富み、日本文化の神髄を極めた貴重な建築物でありました。

 棟札によりますと、本殿は豊臣秀頼により慶長年間に再建され、正保元年(一六四四)に焼失し、明暦二年(一六五六)に再建されました。又、明和四年(一七六七)再び焼失し、安永五年(一七七六)に再建されました。度重なる焼失にも決して絶望することなく、先人の方々の、血の滲むような努力により再建されてまいりました。